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『トンボの眼』バックナンバー

No.18 2010年2・3・4月号
奈良県藤ノ木古墳男女合葬説

玉城一枝  奈良芸術短期大学非常勤講師

足玉の出土状態 石棺内遺物出土状態

 昨年大きく報道された足利事件。20年前の冤罪へと導いた最大の要因が当時のDNA鑑定であり、今日の事実上の無罪もまた、精度を高めたDNA鑑定の結果であったことは、自然科学の方法が必ずしも絶対的な信頼性をもたないことを強く印象付けた出来事だった。

 同様のことは考古学の関連分野でもじゅうぶんに起こりうる。

 旧石器遺跡捏造事件の発覚を遅らせることにもつながった当該石器への「ナウマン象の脂肪酸付着」という誤った結果は分析者側の問題が大きかったにしても、愛媛県上黒岩遺跡(縄文早期)出土の骨器の刺さった人骨が「ヤリで刺殺された男性」から「死後?に何度か刺された女性」へと変転したことや、古墳時代の女性権力者の確かな事例として必ず引合いに出される熊本県向野田古墳で発見された保存良好な女性人骨の出産経験の有無が、なぜか二転三転していることなども考古学研究者を混乱させている。古代の風習や権力者の性格付けの拠所となるべき「事実」が揺らぐ現状は深刻である。

人骨と装身具の出土状況

 そのひとつに藤ノ木古墳被葬者の性別問題も加えるべきであろう。人類学者による性判定の見解が示されてもなお決着したわけではないおいう思いを筆者は強くいだいている。

 藤ノ木古墳の未盗掘の家形石棺から二体の人骨が確認された1988年当初、考古学関係者のあいだでは、男女合葬との見方が大勢を占めていた。人骨鑑定に携わった人類学者は、北側被葬者に関しては早くから20歳前後で身長164〜5センチ程度の男性とし、歯牙の調査所見においても整合性が認められている。一方、極めて保存状態が悪い南側被葬者について「性別不明の成人」とする見解がとってこられた。ところが93年に公刊された正式報告書では、「北側被葬者ほどの長身ではないにしても、南側被葬者も男性の可能性が高い」との最終結論が示されている。

 考古学による歴史の復元は、多くの場合、可能性の高い状況証拠の積み重ね作業である。断定ではないまでも人類学者による最終結論が「南側被葬者男性の可能性」を示唆したとなれば、女性の可能性は否定されたも同然に受けとめられ、「男性二体合葬」を受け容れざるを得ない雰囲気に支配されてしまう。マスコミの断定的な報道も追い風となり、その後の藤ノ木古墳の被葬者論は男性二体合葬を出発点として展開すべく方向付けがなされてしまった感がある。

 藤ノ木古墳の南側被葬者は本当に男性で、「高位の男性の二体同棺埋葬」とみなしてよいのだろうか。とはいっても、考古学の状況証拠による反論では、一般的な先入観も災いして、実際の人骨を調査した学者による結論には到底太刀打ちできないだろう。

 しかし、南側被葬者男性説の根拠が説得力に欠けるものであれば話は別である。X線撮影や理化学的方法による検査も不可能であったという、極めて遺存状態の悪い南側被葬者の性判定は足骨に頼らざるをえなかった。南側被葬者の足骨(距骨と踵骨)の計測値から男性の可能性が高いとされたが、比較すべき同時代の人骨資料が乏しい現状にあっては、データが豊富な「近畿現代人」(明治時代前半に近畿地方で出生した日本人で、男性の平均身長155.8センチ)をやむなく比較検討資料とせざるを得なかったようだ。古墳時代の男性の平均身長はデータにバラつきはあるものの、総じて160センチを超えるものばかりであり、足の各部位のサイズも「近畿現代人」より相対的に大きい傾向にあったのではないかと想像される。門外漢ながら、これでは統計学的見地からも妥当な結果を得ることができないのではないかという危惧をいだいてしまう。

 さらに明治時代にも性別のみならず、階層による体格の差が認められている。成長の後天的な要因となる食生活にも恵まれていたであろう藤ノ木古墳の被葬者の足骨が、比較的大きい部類での分布を示したとしても、それは比較的小柄な明治時代の人骨群における一般的傾向のなかでの男性の可能性を示唆するにすぎないのではないだろうか。古墳時代の特定個人である南側被葬者の性別にまで言及できるものではないとの思いは払拭できない。このような点を鑑みれば、考古資料としての南側被葬者は性別不明として扱うことが適切であろう。

 筆者はかねてより装身具と性差の関係に注目してきた。藤ノ木古墳の二人の被葬者の装身具を比較してみると、北側被葬者の頭部付近は玉簾状の華麗な被り物を始め、銀製垂飾銀金具、銀製鍍金空玉などの四連の頸飾り、銀製剣菱形飾り金具、耳環などできらびやかに飾られていた。

 一方、南側被葬者の首から上は一連の銀製空玉と耳環のみで、北側被葬者が主たる埋葬者であることは明白である。ところが、南側被葬者だけが葡萄の巨峰を思わせる大きなブルーのガラス玉を両足首に各9個、淡いブルーの棗玉10個を左手首にに着装させていたのである。

巫女形埴輪 今城塚古墳 塚廻り3号墳

 未盗掘で遺物の残りが良好であることを考えれば、被葬者の装身具のあり方は葬送時の姿をおくとどめているとみるべきで、手玉・足玉を北側被葬者には着装させなかった点は注意されてよい。二人とも男性だとすれば、同じ種類の装身具では明らかに優位にある北側の男性に、南側被葬者よりさらに立派な手玉・足玉を着装させて然るべきであろう。しかし、これを装身具に現れた性差としてみれば、そのような疑問は氷解するのである。

 足玉の確実な実物資料は島根県上島古墳などわずかな例にとどまるが、『古事記』や『日本書紀』などにみる風俗、人物埴輪のあり方などから、足玉は高位の女性の装身具に限定できるのである。さらに男女共通にみられる釧に対して、手玉は女性埴輪のみに限られる点も注目される。つまり、考古資料からみる限り、手玉・足玉をもつ南側被葬者は限りなく女性的だと言わざるを得ないのである。

 歴史の復元において、自然科学の方法はこれからもますます求められていくだろう。しかし、自然科学の成果を無批判に受け容れるべきではない。また、自然科学で明らかにされた「事実」が「真実」に近づくためには、一人の研究者や一つの機関によるのではなく、同じ分野の多くの研究者によって鍛えられる過程を経て鑑定結果が示されるべきであり、そのような環境づくりが急務であろう。そろそろ自然科学とのかかわり方を根本から見直すべき時にきているのではないだろうか。

挿絵出展
※1〜3 「斑鳩 藤ノ木古墳 第2・3次調査報告書」1993 奈良県立橿原考古学研究所(※2は人骨出土状態図に筆者が装身具を加筆)
※4 「塚廻り古墳群」1980 群馬県立教育委員会
※5 「王権と儀礼」2005 大阪府立近つ飛鳥博物館(高槻市教育委員会所蔵)