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旅行案内

2007年度「『魏志』倭人伝の道〜九州に邪馬台国を探る」
遺跡巡りの旅に参加して
『トンボの眼』No11(2008年1・2・3月号)より(抜粋)

石崎勝義  元朝日新聞記者

 昨年10月に初めて、国内の遺跡や博物館巡りという異色の旅行に参加した。「トンボの眼」編集部が特別企画したツアー「『魏志』倭人伝の道」。北九州から対馬・壱岐を経て韓国へ。古代の伽耶諸国、狗邪韓国を経てや中国の帯方郡比定地、黄海から山東半島、そしてかつての魏の都・洛陽まで、2年かけてゆかりの遺跡や博物館を訪ねる旅だ。5回シリーズで来年9月までかかる予定だ。九州大学名誉教授で日本考古学協会会長の西谷正先生が毎回、講師として同行解説。考古学や古代史ファンにとっては、願ってもない贅沢なツアーだ。その第1回は10月の「九州に邪馬台国を探る」4日間、なかなか刺激的なタイトルである。参加者は先生含め13人。東京周辺の方を中心に私は関西から、金沢から一人参加された婦人もおられ驚き。こうなツアーは初めてという中年女性3人組も。少人数ながら多士済々。旅行中は皆さん若さあふれる熱心な古代史や考古学ファンだった。

不審火で焼けただれた復元された板付遺跡の竪穴式住居跡

 以下、このツアーで素人なりに感じたことを報告したい。

◆初日は福岡空港近くの日本最古の弥生時代の農耕遺跡の一つである板付遺跡見学から。中学校教科書にも静岡の登呂遺跡(ここは昔訪れた)と並んで紹介され有名だ。
>>ここでは実は予期せぬ無残な遺跡の光景を目のあたりにした。復元した竪穴式住居跡の1基が数日前に不審火で焼けたとかで、わらぶき屋根は焼け落ち、丸焦げの柱がむき出しになっていた。周りを住宅地に囲まれて、日常的に人の出入りが自由で公開されているこの遺跡の管理保全の面で問題を感じた。

◆次いでこれも有名な春日市岡本「奴国の丘歴史公園」にある「須玖岡本遺跡」。1899年(明治32年)大石の下から発見された甕棺墓には30面前後の前漢鏡をはじめ10本以上の青銅武器など多数の副葬品が納められていたことなどから奴国王の墓とされる。紀元57年、後漢の光武帝から贈られ、あの志賀島で発見された金印(漢委奴国王)を授かった奴国王より数世代前の王であったと推定されている。資料館の遺骸の復元想像図が妙に生々しかった。

復元された楼閣など吉野ヶ里遺跡を見学する遺跡巡りツアーの一行

◆ハイライトはやはり「吉野ヶ里遺跡」だった。1986年(昭和61年)のこの一大環濠遺跡の大発見は、考古学界のみならず、改めて日本中に古代史ブームを巻き起こした。もちろん邪馬台国九州説ががぜん注目を浴びることとなった。「魏志」倭人伝に記されている環濠集落(濠に囲まれた住居跡群)であり、「望楼(物見櫓)」、「城柵」、「宮室」、「邸閣」などに相当する遺構がセットで発見されたからだ。首長を葬る「墳丘墓」や「甕棺墓地」も多い。現在のところこれだけのものが揃って発見されたのは候補地の中では吉野ヶ里遺跡だけである。しかし有力な首長をいだいた大きな「クニ」であることには間違いはないが、もちろん「邪馬台国」だとも「断定」されてはいるわけではない。

 平成3年に特別史跡に指定され、「国営吉野ヶ里歴史公園」(28ha)として平成13年から復元施設などが公開されている。隣接の「県立吉野ヶ里公園」(31ha)と一体的に利用されている。佐賀県の一大観光スポットになっており、訪れる観光客は多い。火起こしや土器作りなど、子供たちの体験コーナーなどもあり、歴史教育とともに文化財の大切さを教える貴重な場にもなっている。

古代山城跡の「御所ヶ谷神籠石(こうごいし)」を見学する一行

◆今回の遺跡巡りで、興味を引いたのは、邪馬台国とは時代もまったく違うものだが、「神籠石(こうごいし)」である。 福岡県山門(やまと)郡の女山神籠石と、久留米市の高良神社(筑後一宮)周辺に一部で見られる列石群の神籠石、そして行橋市の大規模な御所ヶ谷神籠石を見た。7世紀の朝鮮情勢を反映、外敵に備えて、大和朝廷が築かせた古代山城を取り囲むように積み上げた列石群だ。斉明天皇(女帝)の時、663年に白村江の戦いで、日本軍が唐・新羅連合軍に敗れ、朝鮮半島から撤退を余儀なくされ、危機感を抱いたころにあちこちに築かれたという。ほとんどが北九州にある。中でも御所ヶ谷のものは、しっかりと土を固めて土塁を築き、その上に長方形の石をきちんと並べたものだ。今はその一部が水路として使われていた。

「宇佐風土記の丘」の古墳群の免が平古墳の内部を見学する一行

◆訪れた8箇所にも及ぶ各市町村の博物館や資料館についても触れたい。北九州は大陸や朝鮮半島に近いという地理的関係からか、縄文、弥生から古墳時代などの遺跡の宝庫だ。膨大な出土品があり、展示されているが、規模の大小は別に、それぞれに展示が工夫されていた。福岡市の「奴国の丘歴史資料館」、八女市の「岩戸山歴史資料館」は八女丘陵一帯が5、6世紀にかけての古墳群集地であるだけに、埴輪、須恵器、金環、鉄製の馬具、剣など様々の出土品を展示していた。また吉野ヶ里ほど大きくはないが、復元された高床式の倉庫なども多数復元された甘木市の「平塚川添遺跡資料館」もなかなかのものだった。さらに立岩遺跡の出土品を展示する「飯塚市歴史資料館」は規模も大きくすばらしい。豊前国府跡にある豊津町歴史資料館も小さいながら個性的だった。いずれも学芸員の方たちが、考古学ファンの一行で,しかも西谷先生の引率とあって、懇切丁寧に説明され、質問にも十分なほどに答えていただいた。通常のツアーは有名な博物館こそ組み込まれているが、今回ほど遺跡見学といい、遺跡めぐりといい密度の高い遺跡巡りの旅はないだろう。

九州で最大最古級の典型的な畿内型前方後円墳の石塚古墳で西谷先生の説明を聞く一行

◆最も充実していたのは宇佐市内の「宇佐風土記の丘」にある「大分県立歴史博物館」だろうか。 市町村立の資料館より、規模が多いこともあろうが、展示コーナーもすばらしく、それに風土記の丘そのものが、古墳群そのものに作られており環境もすばらしい。駅館川(やっかんがわ)東岸の河岸段丘上の大地に広がる総面積19haの史跡公園。九州最古の前方後円墳のひとつである赤塚古墳を筆頭に、6基も前方後円墳が築かれ、 その周囲には多数の小石室墳、方形周溝墓が散在。中でも免ヶ平古墳や、鶴見古墳は墳丘・石室を復元しており、われわれ一行は石室の中に入ることができ感激した。博物館自体が、常設展示の「豊の国・おおいたの歴史と文化〜くらしと祈り」もかなり豪華で、宇佐神宮はじめ、国東半島の独特の高い文化や、古来、九州でも瀬戸内海を通じて大和政権とのつながりももっとも、深かっただけに興味は尽きなかった。