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地域再生・地域振興

『発展か遺跡保護か−アフガニスタン・中国企業による銅山開発地』朝日新聞2012年12月28日付を読んで考えたこと

『トンボの眼』佐々木 章

 「アフガニスタン文化研究所ニュースレター37」をホームページに転載した翌日の朝刊を開くと、上記の記事が眼に飛び込んできた。アフガニスタン中部にある寺院や仏像などの遺跡が、中国国有企業の銅山開発で破壊される可能性が高まっているというものだ。
 そもそも私がアフガニスタンの文化遺産に眼を向けたのは、あのタリバンによるバーミアンの大仏爆破の衝撃だった。NHKの映像から流れた爆破の映像、玄奘三蔵も見たという大仏が、一たまりもなく吹き飛ばされた。バーミアン大仏といえばそれこそ世界一級の世界遺産に値するものだった。それをもう二度と見ることが出来ないという衝撃−「一度壊された文化遺産は二度と戻らない」という思いを強くしたものだ。
 その後、私の関心は世界遺産に向かった。世界遺産が文化財保護のシンボルと思えたからだ。日本では奈良や京都といった古都に続いて熊野、石見銀山、平泉などいくつかの世界遺産が誕生した。しかし、国内の反響に少し違和感がなくもなかった。日本にあっては、世界遺産といえばその登録への動機が観光の目玉、地域再生の目玉のようなものに思われているのではないかという疑問を感じていた。地方経済の低迷、そしてそこからの脱却、再生が叫ばれていた。それらの解決の起爆剤として世界遺産登録の運動が盛り上ってきたように思われて仕方なかった。民間は手をこまねき、かといって地方の活性化に有効な策を持たない行政にとって、京都や奈良といった古都に比べ、あの僻地の熊野やちっぽけな地方都市にある石見銀山などが登録後、観光客で溢れ、世界遺産が生む経済効果などは、低迷を続ける地方にあっては絶大な効果あるものに映ったに違いない。公募制となると、行政主導のもと、それこそ我も我もとどの府県も名乗りをあげた。その地域が所有する文化財が世界的な普遍性ある価値を持つかどうかというより経済的な世界遺産済効果に目が行き、右に並ばなければ遅れを取るといった風潮があったようには思う。しかし、決してその動きを一概に否定するものでもなかった。文化財に目が向くことは、観光の皮相な側面だけでなく、地域の活性化や文化財の整備、補修につながることは間違いないと思われたからだ。危機遺産が置かれている環境とはあまりにもかけ離れた日本にあっては、世界遺産のあり方もおのずと違うことは自明だ。かけがえのない文化財を愛し、それを文化として共有できる日本こそ望ましい姿ではないだろうかと思った。
 私はこの数年、世界遺産登録運動へのエールを送ってきた。ことに沖ノ島と関連遺産群、百舌鳥・古市古墳群の登録への道の手助けとして啓蒙とPRを兼ねたシンポジウムを開催することなどで微力ながらお手伝いをしてきた。幸いにそのどちらもが暫定登録がなり、来年の富士山、鎌倉の審議後にはいずれ登録推薦されるであろうと思っている。近年、登録数のうなぎのぼりの増加から登録推薦枠が抑制され、日本の文化遺産も2014年の審議分から1件に絞られることになった。いつまで待てばという見通しが立たたないような状況になってきた。暫定登録にさえ手がとどかない地方にあっては手を引くことにつながりかねない。しかし、日本の文化遺産ってそう薄いものでないと思っている。世界に通用する価値はまだまだ秘められているように思う。せっかく手を挙げた以上、文化財保護という本来の目的を踏まえて、さらに資産価値の掘り起こしを追い求めていって欲しい。世界文化遺産というお墨付きがなくても世界に立派に通用するであろうものもある。例には間違いがあるとしても国宝とか重要文化財といったくくりのように"世界遺産"に準じる"日本遺産"とでもいったものを創出していく手もあるのではないだろうか。"日本を取り戻す"というなら政府はこうした芽を摘み取ってはいけないと思う。

 ところで、今年はユネスコの世界遺産条約が採択されて40年。それを祝う国際会合が11月、古都京都で開催された。朝日新聞編集委員の中村俊介氏が記者有論で「世界遺産40周年 保存・保護を 原点に帰れ」(2012年12月1日)を書いていた。また11月24日の社説も同様に「世界遺産40年 日本も観光より保護を」と訴えていた。しかし、ここには同じ新聞社でありながら社説と編集委員の記事に食い違いがあり、社説が世界遺産を目指す目的は保護であって、ブータンの例をあげて「日本も観光より保護を」といっているのに対して中村氏は「原点に帰って保存・保護を」としながらも「遺産と共生する観光や地域つくりは次の40年の課題といえよう」としている。『社説は「床の間の天井」のようなもの』(おおや通信でこの言葉を知ったばかり)ともいえるので、それはそれでいいとも思うのだが、いきなり軌道修正するかのように保護だ、保存だとばかりに眼をむけるのはどうかと思う。私は中村氏の意見に賛同するものである。

 確かに「災害や紛争などで危機にひんした遺産を国際協力で守ろう」ということこそが世界遺産条約の原点である。条約ができたきっかけの一つは、ナイル川のアスワンダム建設で破壊の恐れがあったエジプトのヌビア遺跡を、ユネスコが国際協力を通じて保護したことだった。現在、世界遺産は登録件数962件、保護を擁する危機遺産は38件ということだ。危機遺産と呼べるものがない日本にあっては、世界の危機遺産への眼差しに共感できなければ、世界遺産登録運動もしぼんでいくであろう。国際会合でも繰り返し強調されたのは、国際協力を通じた遺産の保護という条約の原点だったという。原点に眼を向けた上での世界遺産登録への道が模索される必要があるように思われる。そのためには世界の文化遺産が置かれて状況にももっと関心を寄せるべきだと考える。

 世界には戦火の下で逃げまどうことに精一杯の国、日々の糧もままならず貧困に打ちひしがれる国もあり、そこでは文化財保護どころではないだろう、文化財の盗難までもが横行するといったありさまだ。
 今年、悲しいニュースがあった。それは内戦が続くシリアだ。シリアには首都・ダマスカスの旧市街をはじめ、アレッポ旧市街、パルミラの遺跡など6カ所が世界遺産に登録されている。パルミラの遺跡などは橿原考古学研究所の調査などでよく知られている遺跡だ。日本人女性カメラマンの死亡も悲しかったが、ダマスカスの旧市街が赤々と燃え上がっている映像も実に悲しいものだった。パルミラの遺跡やアレッポの旧市街がどうなっているかが気がかりだ。
 バーミアンの大仏爆破からその愚かしさを乗り越えようと懸命の修復作業が進められて来た。日本にもそのことに尽力を尽くす人たちがいる。バーミアンの大仏破壊と同様な破壊、また同じことの繰り返しだ。
 そこに飛び込んできたのがアフガン文化研究所のニュースレターだった。そして今朝の新聞記事だった。破壊の方法こそ違うが文化財喪失という同じ愚かしさが繰り返されてはならない。
 「一度破壊された文化遺産は二度と戻らない」−

下記、是非、ご一読ください。

発展か遺跡保存か 記者有論 世界遺産40年 保存・保護を 原点に帰れ
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